きっと1秒も忘れないさ。
KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR 2015 "10Ks!" 全5公演が終了して5月1日を持ってKAT-TUNはグループとして充電期間に突入した。あれからもう?二週間近くが経ってKAT-TUNがデビューしてからの10年とこれからについて、想いが溢れてくるくせに自分の能力じゃ文章にできるわけないと断念してたけど、きっと今じゃないとこうして振り返れることはないと思ったから拙い文章ですが、自分が今後も彼らを応援していくための区切り?としてもちゃんと文章として残してみようと思いました。
私はいわゆる永遠の新規、ごく出です(笑)
だから彼らが とてつもない勢いでデビューした瞬間も見守ることができました。 自分も10年って年をとって考えてみるとあのころ(特にごくせん出演後から)彼らを取り巻いていたものってとてつもなく大きいものだったんだなって驚くと同時に、少しこわくなります。
でもあのころの私なんて、小学6年生。ランドセル背負ってた時代(泣)
自分の初めて好きになったアイドルがキラキラした衣装(というよりギラギラオラオラだったけど)で歌って踊ってる姿がデビュー前に関わらずほぼ毎週ゴールデンタイムに見れて、デビュー後はラジオもドラマもCMも大型番組のメインパーソナリティーも決まっていく。そんな右肩上がりの状況を、勢いすごいねー推されてるねーなんて冷静な見方できるわけなくて。 ただただ全部彼らの実力についてきてるんだ!私はすごい人達を好きになったんだ!今はKAT-TUNの時代なんだ!!ってそんな単純な考えしかできなかった。もちろん実力なきゃお仕事もらえないとも思うんですけどね、波とかそんなのわかってなかった。全部が彼ら中心に回ってるような、大袈裟だけどそんな気さえしてたと思う。
そんな2006年 赤西くんの留学がありました。
小学校の廊下で当時一緒にKAT-TUNにハマった友達(赤西担)にその旨を伝えられたとき、幼いながらショックを受けたなぁ。 今でもよく覚えてる(笑)
家に帰ればWSでその話題が取り上げられてて、メンバーも含めての会見もこのとき流れてたっけ? もう記憶が曖昧だけど 本人達の表情見て あ、帰ってくるのかそんな深く考えることじゃないのかな!って心が軽くなった。
当時はネットなんて見ることもなかったし 入ってくる情報はTVと雑誌や新聞がほとんどだった。情報の選別なんてできなかったし ソースがどこかなんて冷静に考えることも頭になくて。所詮12歳の私には情報の量が多すぎて、世界が違いすぎてw鵜呑みにするか、知ろうとしないかの両極端を生きるようになった感じがする。だってネガティヴなことなんてほとんどガセだと思うけど(じゃないものもあったかもしれないけど)とんでもない量溢れてたもん。
そう考えるとネットって改めて怖いよね!
だって今はTwitterで タレント名 遭遇 で、その人がどこいたか分かっちゃうんでしょ?なにその世界こわい!!! 私なんて埼玉の田舎で学校生活送りながら、あーKAT-TUNは今日もお仕事してるのかなー早く大人になりたいなー、なんて青くさいこと考えてたよ?? それも改めてやばいな!!
まぁ脱線したけど。ポジティブなメンバーの言葉と表情で5人のKAT-TUNでの活動も前と変わらず応援してた。なんて言ってもこの時期には神崎弘人くんに出会ってしまうわけですから。20歳で純愛ラブストーリー頂けたの とても有り難い😭 ここで理想の男性像が神崎弘人になる(一つの失敗)
2007年の春ごろまではごめんなさい、あまり記憶ない。特急田中三号のエンディング(喜びの歌)が途中から6人バージョンになったんだっけ? とにかく赤西くんが帰ってくることがわかったとき嬉しかった。 よっしゃー6人そろう!6人は最強だぞ!!?なんて思ってたかなぁ。 この年 有閑倶楽部という素敵な作品もあって、相変わらずジャニーズっぽくないって言われる彼らが好きで パフォーマンスの高さとステージ降りると途端に男子校ノリみたいになるギャップに惹きつけられていた。
この際だから 言います
私は6人が最強だと信じてたし、不滅だと思ってた。
でも 2010年、赤西くんが脱退してKAT-TUNは5人になった。
正直 予感しなかったと言うと嘘になる。2009年の終わり頃からかな?彼のしたいパフォーマンスがKAT-TUNとは別にあるんだろうなって見てとれたし、彼なりのビジョンがきっとあってそれが色濃くなっていくのは感じてた。ソロライブとKAT-TUNとしてのツアーが別々に並行される時点であれ?とは思ったけど、また次のライブで戻ってくるんだろうって考えてた。
確か5人での東京ドーム公演2日目の朝とかに発表されたんだっけ。6年も前だとこんなに思い出せないんだね(笑) 知った瞬間”え、昨日5人はどんな気持ちでステージ立ってたの?今日どんな風に見ればいいの?”って最初はすごく動揺してショックだった。でも退所したわけではないし、どういった形でもまた同じステージに立ってくれたらいいなって気づいたときには希望に変わってた。PROMISE SONGとか妙に感情移入してたもん、みなさんもそうかなー?(笑)
5人になってからだと思う。
彼らが hyphenってよく言葉にするようになった。KAT-TUNとファンを、なのかファン同士を、なのかとにかくみんなをつなごうって気持ちを強く感じるようになった。そして 聞いてるこっちが少し照れるくらいの言葉を一番くれるのは聖くんだった。思い返してみると彼は初めから素直な人だったかもしれない。
いかつい見た目のくせに、愛情深くて他人想いで動物好きで笑うとクシャってなって。なんていうか彼はまっすぐな人で、周りを巻き込んで笑顔をつくれる人で、そんなとこが好きだった。
発表の後震災があって白紙になったけど、5人でのコンビナート公演見たかった。青空の下でWHITEを歌う彼らを想像したりしたなぁ(笑)
2013年の秋、聖くんの脱退があった。
突如届いたFCメール、臨時号なんてタイトルにざわついて。 4人の文章を読んだとき頭を打ちつけられたような衝撃があった。まず文章の意味がわからなくて、うそだだって彼は最後一人になってもKAT-TUNでいたいって言うくらいKAT-TUNのこと愛してる人なのに、って理解できなかった。
私は本当に何も知らなくて、予兆なんて感じてなかった。
週刊誌によくない噂が取り上げれてたのも なんだか大袈裟に考えてなくて、というよりほとんど気にしてなかったのが本当のところで(笑)
後から そんなことがあったんだって知った。
それはたぶんステージとか公の場で発信されるものを受け止めよう信じようって決めてたからなんだと思う。自分の性格上 少し探ってしまうとズルズル気にしちゃうタイプだから、そんな気持ちでアイドル見てても楽しくないし 意識的にプライベートのことは切り離して見るようになってた。
4人になるって知った時は さびしくて不安で仕方なかった。 それまでの5人での笑顔とか言葉とか思い出して 抜けた彼に対してもどかしい気持ちも正直覚えた。この結末にしかならなかったの?って悔しかった。だけど 沢山笑顔をくれた人だったから恨むことはできなくて。
だけど 発表後すぐに4人でのミニアルバムリリース、単独カウントダウンコンサートのお知らせがあって。すでに前に動いてる彼らについて行くのが精一杯だった。
4人のKAT-TUN すごく好きだった。
もちろんいつの時代も好きだけど…なんだろう 。私は4人になってから個人個人をよく見るようになった気がする。
タメ旅も少プレも グループとしてすごく素敵な番組に恵まれて。 週に一回と月に一回、KAT-TUNの色んな顔が見れてそれがすごく幸せで嬉しくて…ずっとこんな風に続いてほしいって思ったこともあった。
ツアーcome Hereは本当に楽しくて素敵な思い出です! あの夏は私の中でこれからもずっと輝いていると思う(ポエムかな)
2015年 quarterが5月に二日間行われて。
振り返るとタメ旅と少プレ以外にグループ活動ってほとんどなかった?かな?
ツアーがないこと、新曲も3月以降リリースされないこと。そしてこれから起こるかもしれないことを懸念してる人達がいたことすら私はこのときも知らなかった。
ドーム2日目実質最終日の田口くんの涙も、動揺はしたけど それで脱退とか単語並べてる人見ても は?んなわけないでしょ!って思ってた。
(田口くんのM誌1万字インタビューによるとあれは感極まっての涙だったらしいけど)
何が言いたいかというと、本当それくらい 脱退って単語は私のなかになくて。それは本人達にも言えることだろうと疑いもなく信じてた。安心しきっていた。
だって あんな最高のパフォーマンスするんだよ。
冗談でも抜けるだなんて考えない。どんな事情があっても。
そして田口くんの抱える事情が何だったのか、最後まで本人から発せられることはなかった。
以前から 噂があったのは知ってた。だけど私は例の通りスルーしてたし、重く受け止めてなくて。
アイドルは彼にとって天職だと思ったし、アイドルになるために生まれてきたと思えるくらいの魅力溢れる人だと感じてた。何より ステージで踊る彼の美しさと磨かれていく歌声、笑顔いっぱいの彼に釘付けになっていた。まぶしいくらいに周りを照らす笑顔が大好きだった。
4月3日 ナゴヤドーム
田口くんの歌声と姿を何度か探してしまう瞬間があった。
あ、ここの田口くんの歌声とダンス好きだったなって思い出すことがあった。
寂しさがないと言ったら嘘。
だけど、あの空間は確かにすごく幸せなものだった。
こうやって彼らはいつも導いてくれるんだって気づかされた。そして改めて 自分はKAT-TUNが好きなんだなって思った。
3人のKAT-TUNなんて信じられないと冬まで思っていたのに、また新しく好きって感情が生まれてた。
5月1日 東京ドーム
やっぱりKAT-TUNは最強にかっこよくて儚くて、好きーって気持ちでいっぱいで。この日最後まで涙が溢れることはなかった。
だけど最後の3人の挨拶、気づけば視界が歪んでた。中丸くんの泣き顔見た瞬間嗚咽が止まらなくて。ただ悲しいわけじゃない、未だにあのときの感情の正体が何なのか自分でも分からない。
エンドロールが流れ始めて、少し落ち着いて(相変わらず涙は止まらないんだけどw) そうしたら亀梨くんの「みんな笑えよー!」
もう愛しくて仕方なかった。
この空間全部 大切だと思った。
三人が KAT-TUNが幸せになりますようにって願わずにはいられなかった。
私もメンバーの笑った顔が見たいと思うのと同じで、上田くんも言ってくれたように彼らも私達ファンには笑っていてほしいんだろうな。
ただ寂しくて悲しくて泣いてるんじゃないよ。
KAT-TUNが大好きで、KAT-TUNのこと想うと自然と泣けちゃうんだよ。
亀梨くんの挨拶。
ただただ嬉しかった。
抜けたメンバーに感謝してる、ありがとうって言葉を聞いた時
私が抱えてた沢山のモヤモヤが晴れた気がした
感謝、それでいいんだって思った。
過去を肯定していいんだって背中を押してもらえた気がした。
私は6人に心から感謝したいです。
11年前 6人のKAT-TUNを好きになって、どの瞬間も好きって思えたから今もこうしていられる。
亀梨くんはいつだって誰かを一方的に責めたりしない人だった。全部背負って戦う人だった。
過去、そして未来を肯定してくれたこの人と、KAT-TUNをまだ見ていたいって思った。彼らは私にとって青春の全部でヒーローで、悲しいことも全部吹き飛ばしてくれて沢山の笑顔をくれて、時々泣かされて(笑)
私はKAT-TUNって船にいつまでも憧れ続けると思う、だけど私も一緒に戦いたい。まだまだ彼らと色んな景色見たい。KAT-TUNなら見させてくれるって信じてる。
あー ほんとに好きです。
KAT-TUNは私にとって代わりのないたったひとつの最高のグループです、いちばんです
KAT-TUNに出会えてよかった。
絶対帰ってきてね。
キミが生きる この空の下 生まれてよかった
偶然でもキミとめぐり逢えた街で
白く光るキミの幸せ 祈れる喜びを
ぎゅっと強く抱きしめ 明日へ進むから
これからも大好き
次の出航が楽しみです!!!!!!